人は大きな人生の転機が起きるのは一生のうちに2~3回程といわれます。皆さんもそんな経験をされたと思いますし、もしかしたらまだ自主的に残してるかその転機のチャンスが残ってるかもしれません。
転機は自分自身が変化や活動しようとする内的要因の転機、周りの環境が変化して訪れる外的要因の転機の2種類があるらしいです。
今の私自身は渡米しようとしている事が2回目の転機だと感じています。まず1回目の転機は熊本県立南稜高校の馬術部に入部した事によって、馬と触れ合えた事。馬や馬術を通して学べた事です。
もしもこの馬と触れ合っていなかったら、馬術というスポーツを知らなかったら今の会社に勤めてないと思いますし、当然違う人生を歩んでいた事でしょう。多分ろくな人生じゃないと思います(笑)
そして17年務めた会社を退職し、渡米して新しい道に進むという事。これが大きな転機となるのは言うまでもないと思います。この17年という私にとっては長いようであっという間の時間でしたが、入社した頃の話を振り返ると、当時高卒で配属された先は京都事業所(現在は移転して学研枚方)でした。
当時の所長は代表取締役社長も兼任されていた故米山さんでした。社長も兼任されていた為、京都に出向される日は基本的にはほとんど週末でしたが、ユーモアで仕事熱心、日曜日の経営会議の時には米山さんが作られたご飯をスタッフ全員に振る舞っていました。おかげで耳や痛くなるような経営の数字を聞きつつも美味しいご飯があったので会議そのものは嫌いではなかったです。
その甲斐あって今でも私は会議というイベントに関しては嫌という感情が沸かないのかもしれません。また、新卒で入社した私は高校馬術部を出たばっかりの半人前でサービス業のサの字も知らず沢山の失敗をしてきましたし、沢山の会員様やスタッフに迷惑ばかりかけていたと思います。
入社当時は競技会よりも最優先すべきは運営の事なので、競技会も出場はしていませんでした。自分にはサービス業って向いていないのかなと思った日々も多かったですし、とりあえず1年は頑張ってみようかなと思う事が多々ありました。
そんな中途半端な自分を支えてくれたのは、職場の同僚や上司であったり、会員様や担当馬達でした。そうこうしている内に1年が経過し、私にも競技に出場できる機会が訪れました。それは1年に1回、会社で実施しているグレナディールテストの受験です。
クレインには競技会に出場する為にはグレナディール試験を受けて合格する事によって競技会に参加できるというのはほとんどの方はもうご存知だと思います。
そもそもグレナディールという言葉は一昔前の軍人的な用語に用いられる事が多く、諸説ありますがドイツ語やフランス語からの由来となり、勇敢さや強さ、士気の高さや決断力と軍人に期待を指す言葉らしいです。
会社の看板を背負って競技会で勝負をする訳ですからこのような肩書きがあった方が選手としても仕事の出張として行くにしてもチベーションは高くなるように感じます。勿論テストは障害、馬場、総合の3部門があり、合格すればグレナディールA(海外派遣)グレナディールB(国内での選手権制覇やアジア大会出場等)強化指定選手に振り分けられていくといった感じです。
もちろん、受験する為の各基準などもありますから、いきなりグレナディールAになる事はかなり難易度が高いです。私は総合馬術を希望しました。何故ここで総合馬術を選択したかといいますと
高校3年生の時に出場した兵庫国体で初めて総合馬術競技のクロスカントリー競技を見て颯爽と駆け抜ける様子や水濠に飛び込む人馬の姿に感動し、こんな世界があるのかととても好奇心が強くなりました。
ここももしかしたら転機なのかもしれません(笑)そうしてグレディールテストを受験し、強化指定選手として総合馬術第一歩のスタートとなりました。
初めての強化指定選手として活動するにあたって京都事業所の会有馬を配馬していただく事になりました。その馬の名前はシーパッションでG3のレースに2回程出走できる成績を持っていた馬でした。気性が少し荒く、会員様が乗って落ち着いてレッスンできるような馬匹ではありませんでした。
競技でも勿論、テンションが高くなりやすく、馬場と障害で苦労したのを今でも覚えています。しかし、気性が強い性格もあり、クロスカントリーはそれなりに勇気を持って飛んでくれて野外を走る事の素晴らしさを教えてくれた先生でもありました。
そんなシーパッションとは1☆クラス(今の2☆クラス)のインターナショナルまでは完走できる位まで共に成長する事が出来ました。それと同時に新馬として担当していたアイリッシュブルーという馬が後に私を大きく成長させてくれる事に僕はまだ知る由もなかったです。
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